voices of cats 猫の声

神奈川県の愛川町に外猫のための診療所を始めました。

茶シロのぶーちゃん

 川崎にある製鉄所のJFE、この会社所有の敷地にいる猫達の問題は、現在も解決していないのが実情です。ただ、川崎の動物保護団体である幸アニマルサポートさんの活動ならびに2272万円ものクラウドファウンディングの達成により、道筋が少し見えてきたようにも思えます。JFE川崎市の対応の不誠実さは目に余るものがあります。それでも何とかしようという代表の浜田さんの努力には頭が下がります。
 今回ご紹介する、ぶーちゃんという名前の茶シロの雄猫は、この一連の活動のきっかけをつくった猫ちゃんです。残念なことにもう亡くなってしまってこの世にはいません。はっきりは記憶しておりませんが、2019年1月頃に以前の勤め先の動物病院に、現在は辞めてしまっているのですが、協力会社で働いていた、Aさんが、左目の傷から大量の出血をしているとのことで連れて来られました。B先生が担当され、しばらく入院をし、そろそろ退院ということになりました。この時にAさんから自宅には先住猫がおり、猫エイズ陽性のぶーちゃんを連れて帰れない、元の場所であるJFEの敷地には戻したくない、と相談を受けました。この時JFEに数百匹もの猫がいて、過酷な環境下で生きており、トラックに引かれる猫もたくさんいることを知らされました。思案の結果、愛川町の自宅に連れて帰ることにしました。2019年1月26日のことです。この頃浜田さんにもJFEのことをお伝えして、解決の糸口が見つからないまま話は終わってしまいました。2019年10月に川崎の病院を退職し、同年12月に外猫・保護猫の避妊去勢手術を主とする動物病院を開設しました。多くの方々に信頼していただき何とか経営を続けることができております。さて、ぶーちゃんはというと2段ケージでその日のほとんどを過ごし、食欲元気も問題なく生活しておりました。ただ、猫エイズの影響で口内炎が酷く、定期的に投薬などの治療は続けておりました。腎臓の具合が悪いと思われたので、去勢手術は行わず様子を見ることにしました。発情はわずかに認められて程度でした。自宅猫との交流を避けるため、物置での生活となりましたが、ぶーちゃんは「出してくれ」とも言わず穏やかに過ごしておりました。開業以来ぶーちゃんの世話をする度に川崎の猫達が気になっていたのですが、地元の猫達の手術依頼に追われ、コロナ禍ということもあり、川崎に行くことはありませんでした。定期的な抗生剤の注射を続けてきたぶーちゃんですが、2021年1月頃から抗生剤に対して反応が思わしくなく、口内炎が悪化して食欲が大きく落ち始めました。自分で食べれなくなってからは経鼻カテーテルで流動食を与えていたのですが、2021年1月19日に息を引き取りました。川崎のAさんには亡くなったことをお伝えした際、私の元で生活出来たことに大変感謝していただきました。ぶーちゃんは地元の斎場で荼毘に付されました。お骨は自宅の部屋に、以前飼っていた他の子達と一緒にあります。
 ぶーちゃんが亡くなってからおよそ8ヶ月後、川崎の浜田さんからJFEの猫のことに問合せがあり、自分は係わっていない旨お伝えしました。彼女はJFEの猫達を何とかしたいと強い決心があり、情報を求めて自分に連絡をしてくれたようです。彼女にAさんのことを紹介し、一連の活動へとつながったようです。
 ぶーちゃんというたった一匹の猫が、多くの猫達を救う活動へ人たちをつなげてくれました。川崎ではまだまだ困難が続いておりますが、多くの皆さんにぶーちゃんのことを知ってもらいたく今回お話させていただきました。企業、行政の壁は厚く高いですが、自分としても思うことがあり、地元で活動を続けて参ります。今後に注目していただければ幸いです。

2019年1月27日、自宅に着いた翌日のぶーちゃん

口内炎も安定し、落ち着いた様子のぶーちゃん

経鼻カテーテルから流動食を与えられているぶーちゃん。この2日後に亡くなりました。